2019年10月23日と24日、午後7時40分――。北海道・道南地方の空に、突如として「ドン!」という爆音が響いた。現場は函館市周辺。耳を疑うような衝撃音は、偶然ではなかった。なんと、二日続けて同じ時刻に鳴り響いたのである。
複数の市民がその音を耳にし、また身体で“揺れ”を感じたと証言している。だが、気象庁の観測データに地震の記録はない。市民の通報が相次ぐなか、函館はちょっとしたパニックに陥った。
一体、空で何が起きていたのか。
ミステリーのはじまり
「花火かと思った。でも光がない。怖くなった」。そう語るのは、函館市在住の主婦・佐藤さん(仮名)。爆発のような音は、確かに耳に届いたという。
SNSではすぐに「爆発音」「ドカン」「地鳴り」などのキーワードが飛び交い、さながら小規模な都市伝説のような様相を呈した。中には「宇宙から火球が落ちたのでは」という天文現象を推測する声もあったが、今回は空に一筋の光も見られていない。
そもそも二日連続、同じ時刻という点で、自然現象説は説得力を欠く。
火球説は否定された。
では、正体は?
米軍機の“影”
「ドン!」という瞬間的な音。体に伝わる圧力。空が割れたかのような錯覚。そして同じ時間に2日連続。偶然とは考えにくい。
専門家や航空マニアのあいだでは、すぐに一つの仮説が浮上した。「これは航空機によるソニックブームではないか」と。
ソニックブーム――。それは戦闘機が音速を超えて飛行した瞬間に生じる、爆発のような衝撃波である。エンジンの轟音ではない。空気の壁を突き破るときに生じる、物理的な“炸裂音”だ。
仮に音の原因がソニックブームなら、飛来した航空機はかなりの高度を飛行していた可能性が高い。だが、北海道上空に米軍機が? 疑問はすぐに晴れる。
米軍は、北海道に基地こそ構えていないが、青森県の三沢基地を拠点とする戦闘機が日常的に日本全国で訓練を行っている。そして米軍機は、日本の航空法による「飛行禁止区域」や「最低高度」「速度制限」といったルールの対象外だ。
「飛ぶだけ飛んで、誰にも許可なんて取っちゃいない」
その存在感は『ファントム無頼』を読んだことのある世代なら周知の通り。つまり、日本の空は完全に“占有”されていないのだ。
訓練は行われていたのか
地元新聞が函館市や自衛隊に問い合わせても「当日、自衛隊ではそのような訓練は確認されていない」との回答だった。だが、これも想定内だ。なぜなら米軍は、どこで何を訓練したかを、日本政府に逐一報告する義務がない。
北海道に米軍基地は存在しない。しかしそれは、米軍機が北海道を飛ばないという意味ではない。
本州北端・青森に位置する三沢基地から飛び立つのは、米空軍第35戦闘航空団、通称「ワイルド・ウィーゼル」のF-16戦闘機だ。彼らは「北朝鮮の山間部攻撃を想定した訓練」を名目に、日本国内の山岳地帯を日常的に飛行訓練ルートに使用している。
ワイルド・ウィーゼル ワイルド・ウィーゼル(英: Wild Weasel)は、敵防空網制圧 (SEAD) 任務を課されるアメリカ空軍の航空機の通称である。「狂暴なイタチ」を意味する。
ワイルド・ウィーゼルの任務は攻撃部隊の本隊に先行し、目標地域にあるレーダー誘導地対空ミサイル(SAM) SA-2 ガイドラインの脅威の注意を逸らすか、それらを取り除くことによって攻撃部隊を守ることである。この任務は、自分に注意を向けさせるためにわざと脅かすようにSAMサイトに向かって旋回したり、SAMサイトにレーダー誘導ミサイルを発射したり、急降下爆撃をするためにサイトを目視で見つけたりすることによって達成された。
三沢基地駐留の第35戦闘航空団のテイルコード「WW」は、そのワイルド・ウィーゼルの伝統に由来する。
山間部の廃校や廃工場を仮想標的に見立てて、その上空で急降下して爆弾投下の模擬訓練をしているという話も聞く。
実際、2006年と2012年には、三沢のF-16が函館空港に緊急着陸する事例が発生している。北海道が“米軍の空”であることを示す、動かぬ事実だ。
しかし、米軍機は飛行ルートの届け出も義務ではなく、飛行禁止区域や最低高度の制限も適用されない。
訓練内容も飛行計画も、基本的に「ブラックボックス」である。
ソニックブームとは何か
繰り返すが、ソニックブームはただの「爆音」ではなく、衝撃波である。超音速機が生む衝撃波の結果、地表に爆弾の破裂にも似た“爆風”のような影響をもたらす。高高度からでもそれは届き、稀に窓ガラスが割れる事例もある。
過去には超音速旅客機・コンコルドが起こしたソニックブームが、遥か海上の貨客船からも観測されている。
ゆえに「低空飛行だった」とは限らないが、もしも低空だったとしたら? 衝撃はより甚大となる。
つまり、上空1万8000メートルでも、地上には爆音として届くのだ。
今回も、低空飛行の有無はともかくとして、音速飛行自体が原因であった可能性が高い。
筆者自身、過去に北海道の山間部で黒い影が山の稜線をかすめ、「ドカン!」と頭上をかすめていった瞬間を体験している。あの時の戦闘機も、F16だった。
終わらぬ空の支配
2019年秋の函館爆発音騒動。その正体は明かされることはないだろう。米軍は沈黙を貫き、自衛隊は関与を否定する。地元民には「原因不明」のまま記憶に残る。追跡調査する地元メディアもない。下手に目障りなことを発表すれば、自衛隊や米軍から渡されたプレスパス(取材許可証)を失うことにもなりかねない。
それでも、こうした爆発音が今後も日本各地で24時間、報告されるであろうことを、私たちは理解しておく必要がある。
なぜなら、日本の空の一部は、いまだに「戦後」にあるのだから。