画像の出典 https://pg-web.net/exhibition/tazuko-masuyama-minashimainoatoni/
「カメラばあちゃん」増山たづ子(初稿 2006年 03月 12日 Sun 00:10:24)
亡くなったことを伝えるニュースで故人を知った。昨日今日知った筆者が、こんなところで記事にするのはあつかましい気がするが、「こういう素晴らしい人もいた」と記録しておきたく、ネットの片隅にでもこの記事を置いておけば、誰かが新たに「カメラばあちゃん」に興味を持つかもしれないと思い、書いてみることにする。
「故郷の山並み、人々、そしてダムの底に村が沈むまでを撮り続け 「カメラばあちゃん」と皆から慕われた増山たづ子さんが今月、7日に 心筋梗塞で亡くなられた。増山さんは国内最大級の徳山ダム建設で水没する村を撮影した 「故郷 私の徳山村写真日記」を出版し、社会に貢献した女性が選出される「エイボン功績賞」を84年に受賞している。生前、撮られた写真の枚数は実に70000枚という。
引用元
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20060309k0000e060013000c.html
生まれ故郷である「徳山村」が、ある日、新たなダム建設によって沈むことになった。そして「カメラばあちゃん」こと増山は決意。
「戦争で行方不明になった夫が戻ってきたとき、在りし日の村の姿を見せてあげたい」――これがカメラばあちゃんが写真を撮り始めた理由であった。
ダム工事に伴い変わり行く村の様子、村の人々。カメラばあちゃんは初めのうちは、ダム工事の作業員に対して良い印象を持っていなかった。
もちろん、それは当然であった。しかし、命がけの工事作業に従事する彼らに対して、カメラばあちゃんは少しずつ心を変えていった。
「彼らも命をかけて働いている。この命がけの作業も、しっかり記録に残したい」と、ダムだけでなく、作業員一人一人まで写し続けてゆくのだった。
やがて出来上がった写真集が発売され、今は無き徳山村を後世に伝える資料として学術的にも高い評価をされている。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TP1130Masuyama3.html
上記のサイトで作品の一部が紹介されており閲覧可能だ。
写真を拝見したが、どれも山村の風情が感じられ、味わい深いものであった。
とくに、村の中学の卒業式の写真が印象的だった。先生が書いたと思われる手書きの看板に「おめでとう」と書かれ、卒業するたった二人の生徒、少年と少女の照れくさい表情が見事にマッチしていて、実に温かいものがあった。
見ているこちらも思わず顔が緩む。
こんなに温かな卒業式は、都市部ではなかなか見られないだろう。これらを撮影したのが、「カメラばあちゃん」と村の人々に慕われた増山たづ子さんである。
筆者は、写真というものは被写体がはっきり写っていることが大切だが、「撮影者自身」を写真に写し込むことも重要だと考えている。
カメラばあちゃんは見事に自分自身が写真の中に映り込んでいる。
だからこそ、こんなにも温かい写真が撮れたのだろう。山村の魅力と、それを惹きつける人々の魅力を持った人物だった。
ところで、カメラばあちゃんの愛用カメラはKONIKA C35 EF、愛称「ピッカリコニカ」だ。
上記のサイトで写真を見てもらえばわかるが、レンズの描写も鮮やかで、実に優れた名機である。この名機で、カメラばあちゃんは生涯で7万枚の写真を撮ったという。7万枚という数は、言葉で説明しても実感しづらいだろう。
アルバムにすると、約500冊にもなるという。フィルムの現像代だけで月に20万円かかり、その費用のために保険を解約してそれに充てたという話を聞いて、筆者は複雑な気持ちになった。
筆者も写真は好きだが、保険を解約するほどの情熱はない。しかも、今年コニカミノルタがカメラ事業から撤退を表明し、今後フィルムカメラ市場の先行きは暗い。コニカミノルタのデジカメ部門はソニーに引き継がれ、今後のカメラ市場はデジタル一色になるだろう。
デジカメは便利だ。
月に数十万もの現像代を払う必要はないし、保険を解約する必要もない。数百枚の画像を保存できる記録媒体を一枚購入すれば、とりあえずは足りる。
しかし、風情というものはまったく感じられない。1200万画素という数字の中に、そんな言葉はどこにもない。出来上がった写真や画像、さらにはカメラ本体にも、まぁ、風情は感じられない。
電子回路の塊には、筆者はあまり愛着が沸かない。筆者はデジカメを否定するつもりはないし、欲しい機種もあるが、それでもフィルムカメラの魅力には敵わないと思う。人間は実に勝手なもので、便利だと風情が無いと嘆く。
そういえば、皇室を追っかけて有名な「白滝さん」というおばさんがいる。その人が愛用しているのは、ミノルタα-507siだったか。バッテリーチャージャーもつけていた。通だなぁ。隣に並んでいたおばちゃんたちも、一眼レフを持っていて、すごかった。
皇室には興味はないが、写真に対する熱意を持ったおばちゃんたちは好きだ。
カメラばあちゃんは60歳を過ぎてから写真を始めたという。
筆者は、こうした方々の旺盛なバイタリティこそが、若者に活力を与えるのだと思う。こう考えると、何も挑戦しない若者は罪だなと感じることもある。
今の日本では「助け合い」という言葉もほとんど聞かれない。弱肉強食、合理化、勝ち組・負け組……未来も誇りも無く、日本人は今、同じ日本人を敵として常に蹴落としている。
最後に、カメラばあちゃんは生前、こう言っていたという。「国はやると言ったらやるでな」。戦争もダムの開発も、国がやると言ったらやる。誰がカメラばあちゃんの愛する夫を戦争に行かせたのか。
カメラばあちゃん、天国でやっとおとうちゃんに会えただろうか。