北海道開拓時代の開拓民とヒグマとの闘い

本来、熊は人里離れた山奥で暮らしている野生動物であり、人間と出くわすことはほとんどない。しかし、どんぐりなど熊の主な食料が不作となる年には、熊が餌を求めて里に下りてくることがある。その結果、農作物を荒らしたり、人間に深刻な被害を与えたりすることがある。

一方で、人間の側も熊の縄張りに安易に足を踏み入れることがあり、その結果として予期せぬ事故が発生する場合もある。特に春から初夏にかけての山菜採りの季節には、熊との遭遇による被害が後を絶たない。時には命を落とす事例も報告されている。

たとえば、本州に生息するツキノワグマによる重大な事件としては、2016年に秋田県で発生した事例がある。このときは、同一個体と見られるツキノワグマが4人の住民を襲い、命を奪った。

北海道には、ツキノワグマよりも体が大きく、性格も荒々しいヒグマが生息している。ヒグマは農作物や家畜のみならず、人間にまで襲いかかることがある。代表的な例としては、1970年に日高山脈の芽室岳で発生した福岡大学ワンダーフォーゲル部の事故が挙げられる。この事故では、ヒグマによって部員3人が命を落とした。

さらに近年の事例としては、2019年から2023年の6月末にかけて、北海道の標茶町および厚岸町で発生した「OSO18」と呼ばれる個体による家畜被害がある。このヒグマは複数年にわたり牛などを襲撃し、大きな問題となっていた。

また、2021年6月には、札幌市東区にある陸上自衛隊の丘珠駐屯地にヒグマが侵入するという異例の事件も起きている。ヒグマは駐屯地の正門ゲートのわずかな隙間から侵入し、複数の隊員に襲いかかった。数時間後、要請を受けて駆けつけたハンターによって、このヒグマは駆除された。

【衝撃】北海道には自衛隊員が体重120kgのヒグマを小銃で射止め、小銃持参で地域住民を武装送迎した史実があった

2023年5月には、幌加内町の朱鞠内湖で釣りをしてた男性がヒグマに襲われ、遺体が食われるという凄惨な事件も起こった。

報道によれば、2021年にヒグマによる死傷者は12人に上り、1962年以来、北海道内でのヒグマによる年間犠牲者数の最多記録を更新した。

ヒグマ駆除と猟友会の問題

獰猛なヒグマの駆除を実際に担っているのは、言うまでもなく猟友会のハンターたちである。だが、彼らの献身に対し、北海道の行政は感謝するどころか、驚くべきほど冷淡な対応を取ってきた。その象徴的な出来事が、「砂川ハンター事件」である。

砂川ハンター事件

2018年、北海道砂川市におけるヒグマ駆除の最中、警察と市職員が立ち会う中で発砲したハンターに対し、「民家付近での発砲」という理由で銃の所持許可が取り消された。公安委員会のこの判断により、道内のハンターたちは「砂川のように、撃ったあとで警察に裏切られてはたまらない」と、ヒグマ駆除への参加を忌避するようになった。当該ハンターは処分の取消を求めて訴訟を起こし、2022年の一審ではハンター側の正当性が認められたが、二審では逆転敗訴となった。

行政の後ろ盾を失った猟友会が、命を賭してまで自治体の要請に応じる理由はあるだろうか。

こうした背景のもと、砂川市の隣町・奈井江町では、役場がハンターへの協力金を渋ったことで、ハンター側が駆除依頼をボイコットする事態に発展。慌てた町役場が値上げを申し出たが、時すでに遅し。地元ハンター団体の代表はこう語っている。

「馬鹿にしているのか」ヒグマ駆除 町と猟友会が交渉決裂「高校生のバイト以下」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/900004412.html

「高校生のアルバイト以下の金額(8,500円)で、特殊部隊のようなヒグマとやり合えというのは、無理だ」

彼らが提示した「参考額」は45,000円。だが、それを高いと見るか、命の代価として安すぎると見るかは、読者の判断に委ねる。

北海道の開拓時代、ヒグマの脅威は今以上に深刻であった。1915年、大正時代の北海道で起こった「三毛別羆事件」は、その象徴的な惨劇である。


三毛別羆事件:3メートルの怪物と自治の闘い

1915年12月9日、日本海側の豪雪地帯、苫前村(現在の苫前町)三毛別地区に、体長3メートル近い巨大ヒグマが出没。住民7人が命を落とす未曽有の惨事となった。

当時、北海道の警察力は貧弱で、何か起きてもすぐに駆けつける体制など存在しなかった。頼りになるのは青年団、消防団、そして狩猟経験のある地域住民たち。自治という言葉の重みを、彼らは血で知っており、人間に牙を剥いたヒグマには血で償わせることも知っている。

事態を重く見た北海道庁は、警察部の菅警部を派遣。青年団、消防団、アイヌの狩人など数百人による討伐隊を結成し、さらに旭川から陸軍兵士30人も派遣された。

このヒグマ、「袈裟懸け(けさがけ)」と呼ばれた個体は、特に女性の体臭に異常な執着を示した。襲った女性の衣服をズタズタに裂くなど、その狂気じみた行動は村人を恐怖の底へ突き落とした。

そのとき現れたのが、元軍人の猟師・山本兵吉、通称「サバサキの兄ィ」である。彼の登場が討伐隊の士気を押し上げ、事件はようやく収束へと向かう。だが、それまでに犠牲となった命の重さを考えれば、「解決」という言葉すら空虚に響く。

サバサキの兄ィの決死の討伐

兵吉は普段から酒癖が悪く、しょっちゅう警察の厄介になっており、菅警部は最初「お前アカン」と難色を示した。が、住民たちが「いや、あいつの熊撃ちの腕はガチ」と推したことで、しぶ承。

兵吉は、愛用のロシア製ボルトアクションライフル・ベルダンタイプII(モデル1870)を手に、討伐隊とは別行動を取りながら単独でヒグマを追跡。ついに丘の上で「袈裟懸け」と対峙、渾身の2発で仕留めた。

このシーンは矢口高雄の漫画にも描かれてて、母親を殺された幼い少女が怒りに任せて倒れたヒグマを蹴りつけるんのだが、サバサキの兄ィはその時に吹きつけた不思議な風に「これはカムイの裁き」と因縁を感じたのか、寂しそうにこう言った――

「羆風に免じて許してやってくれ……」

これがまた泣かせるシーンである。

祝杯からの大騒動

さて、こうして事件は解決し、三毛別の集落に平和が戻った……と思ったのも束の間。

討伐成功を祝して、三毛別青年会館で祝杯が開かれたが、そこで問題が発生。地区長が「サバサキの兄ィに謝礼金を渡そう」としたところ、その金額が奈井江町役場の担当者みたいにシブチン謝礼金、つまり高校生のバイト代レベルだもんで、兄ィブチギレ!

「ふざけんなや!」とモンスターウルフみたいに激昂し、青年会館の天井に向けて発砲! もう、その場は『ルパン三世』1st第21話の従業員全員ヤクザの北海道の『滝川牧場』みたいな無法地帯になったと伝えられる。

残念ながら、カリスマ的な人気を誇る風来坊な猟師・山本兵吉についての文献は、あまり多くない。

しかも、後年になってから加えられた脚色も多い。近年になって北海道が舞台の人気漫画のキャラのモチーフにもなって、再び注目を浴びている。

そんなの見て「ワイも兵吉みたいに、いつかはカムイの麓で豊和ゴールデンベア片手に、高校生のバイト代レベルのギャラで、特殊部隊レベルのヒグマ相手にしたるんや!」と夢見る猛者も256倍に激増中。カムイの麓でゴールデンベア(笑)

クマ撃ちの女 1巻: バンチコミックス

三毛別羆事件を題材にした文学作品は多いが、なかでも特に知られているのが吉村昭の小説『羆嵐(くまあらし)』である。作品では、山本兵吉をモデルにした熊撃ちの男・山岡銀四郎が主人公に据えられ、苛烈な自然と対峙する人間の姿が淡々と描かれている。その文体の静けさが、かえって事件の凄惨さを際立たせ、読者に深い衝撃を与える。

この小説は映像化もされており、三國連太郎や高倉健といった名優たちが主演を務めたテレビドラマやラジオドラマとしても話題を呼んだ。

もう一人、この事件を小説化した作家がいる。戸川幸夫。彼は『羆風(くまかぜ)』の中で、より文学的な筆致でヒグマと人間の関係を掘り下げ、開拓期の北海道における命の重みを静かに描いてみせた。

この戸川の作品を漫画に昇華したのが、あの『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄である。猟銃の轟音、雪に染まる血、恐怖に凍りつく村人たち――矢口はその全てを描いた。だが、あまりにリアルすぎた。あまりに生々しかった。

事件を特集しようとした某テレビ局が、番組でこの漫画を使おうと矢口に打診。快く了承を得たものの、いざ編集段階になると「これは放送倫理審査会(BPO)案件になりかねない」と局が腰を引き、結果として矢口の絵はお蔵入り。代わりに、絵本のような“ふわっとした”イラストでお茶を濁すことになった。

このように、大衆娯楽たる創作作品の中のテーマとして『ヒグマ狩り』が描かれることも多いというわけだ。

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