【コロナの真ん中で合成洗剤をやめた】重曹、クエン酸、セスキを使うと、そこから見えたものがあった

合成洗剤や柔軟剤をやめ、無添加の洗剤やせっけんに切り替えてからというもの、自分の体調と生活の質に明らかな変化が現れた。

これはそんなある個人の体験談である。

無添加洗剤に切り替えたら、暮らしが静かに変わった

かつて当たり前のように使っていた市販の合成洗濯洗剤。だが、その中に含まれる人工香料や界面活性剤が、じわじわと心身に影響を及ぼしていたことに、ようやく気づいたのだ。

体のだるさや頭の重さ

以前は常に眠気や疲労感を感じており、イライラすることも多かった。頭痛も慢性的で、鎮痛剤が手放せなかった。

ある日ふと、洗剤の匂いが強く感じられたのをきっかけに、使っている製品をすべて見直した。試しに無添加の衣類用せっけんに切り替えてみたところ、数日で頭痛もおさまり、体全体が軽くなり、気づけばイライラや眠気も減っていた。身体が正直に反応していたのだ。

香りの問題も意外に大きい。合成洗剤の強い香りは、自分では気にならなくとも、他人には不快に感じられることがある。

満員電車や職場など、人と距離が近い場面ではとくにそうだ。無添加のせっけんは無臭、もしくは非常に控えめな、せっけん本来の香りであり、人に不快感を与える心配がない。

さらに重要なのがペットの健康である。自宅にはにゃんこがいる。猫は人間と違い、体内で化学物質をうまく分解できない。とくに合成洗剤に含まれる残留成分は、舐めたり吸い込んだりしたときに深刻な影響を及ぼす可能性がある。

代替できる安全な洗剤は

その点、セスキ、重曹、クエン酸、せっけん、アルカリ電解水といった無添加の洗浄剤は、毒性がない、もしくは限りなく低い。

家の中に安全な空気が広がり、猫の体調も以前より落ち着いているように見える。おそらく、このまま長生きしてくれるだろうという希望を抱いている。

衣類にも優しいのが無添加せっけんの特徴だ。合成洗剤や柔軟剤の成分は、実は繊維を劣化させる原因になり得る。色落ちや型崩れが早いのは、洗剤のせいかもしれない。無添加のせっけんを使うようになってから、お気に入りの服が以前より長持ちするようになった。素材そのものの風合いが、洗うたびに残る感覚がある。何より、昭和の子ども時代のあの懐かしい香りを思い出す。

せっけんだけでも衣類は柔らかに仕上がるが、ふっくらさせたいならクエン酸を適量入れると良い。水30Lに対して、小さじ一杯程度が良いだろう。合成柔軟剤なんて使う理由は全くない。

経済的な面でもメリットは大きい。まず言いたいのは、重曹とクエン酸は洗剤としての用途以外にも、人間の身体にも使えることだ。

重曹は、体や髪洗いや歯磨きにも使える。クエン酸は洗髪後のリンスとして使える。

合成製品にかかっていた年間出費

市販の合成洗剤、合成シャンプーなどを年間通して買えば、おおよそ16,000円ほどかかっていた。内訳はだいたいこうだ。

  1. 食器洗剤   2000円
  2. 衣類洗剤   2000円
  3. 歯磨き粉   1000円
  4. リステリン  4000円
  5. シャンプー類 2000円
  6. ボディーソープ1000円
  7. トイレ洗剤  1000円
  8. アルコール除菌スプレー 3000円

今思えば、あまりにも無駄すぎる。これでも大容量で買うなど工夫してたのである。

非・合成洗剤にかかる年間出費

しかし、上記の品目を全て「セスキ、重曹、クエン酸、せっけん、アルカリ電解水」この5つの無添加の洗浄剤に代えれば、合成製品群は一切不要になると知ったときから、筆者の生活は豊かになった。具体的に以下のように換えることができる。

不要になるもの 理由
食器洗剤 セスキor重曹
キッチンクレンザー 重曹
歯磨き粉・洗口液 重曹
衣類洗剤・柔軟剤 石鹸+クエン酸
ボディソープ・シャンプー・リンス 石鹸or重曹とクエン酸
アルコール除菌スプレー アルカリ電解水
トイレ洗剤 便器はクエン酸水/便座はアルカリ電解水
ガラス用洗剤 アルカリ電解水

年間16,000円分の合成洗剤類が、安全で環境負荷も少ない無添加洗浄剤にすると、わずか5,000円で代用できる。

セスキ炭酸ソーダや重曹、クエン酸といった素材は非常に安価であるうえ、掃除や食器洗いなど多用途に使える。まさに二役にも三役にもなる万能選手である。その結果、洗剤代は年間で5,000円程度にまで抑えられた。

世の中には重曹やクエン酸を使うエコライフが高くつくと思ってる人が多くいるが、実際には経済的な面で無添加の勝ち。

ただし、買い方にはコツがある。楽天のセールなどで年一回、大容量でまとめて買うこと。また、口に入れる場合、重曹とクエン酸は「食用グレード」を選んで欲しいこと。

洗浄力

特にその効果を実感しやすいのが、食器洗い。

洗浄力も申し分なく、何も困ることはない。それどころか、使い方によっては合成洗剤よりもはるかに洗浄力が高い。

これらの洗浄剤を食器洗いで使う人が割合多いのは「セスキ」か「重曹」である。

初めて無添加洗剤の重曹やセスキを使う人には、洗濯よりもまず食器洗いがオススメ。

やり方は簡単。セスキは口の広い空き瓶などに入れておき、少量をスプーン大さじ一杯、洗いおけやどんぶりなどに微温水で溶かし、そこに茶碗や皿を浸す。そして指で軽くこするだけ。油汚れがスルスルと落ちていく様子に、誰もが驚くはず。肌が敏感な人にはゴム手袋の使用をすすめるが、刺激は比較的穏やかである。

なぜ、ここまで汚れが落ちるのか?

それは、セスキや重曹がアルカリ性だから。一般的な合成の食器用洗剤は「中性」であり、油汚れに不向きなのだ。

対して、アルカリ性の洗浄成分は油脂やたんぱく質の汚れを化学的に分解しやすく、より強い洗浄力を発揮する。

昔から「お米のとぎ汁」が台所で重宝されてきたのも、同じ理由による。とぎ汁はアルカリ性の成分であり、自然な洗浄力を発揮してくれる。合成洗剤が普及する以前、人々はこうした生活の知恵で日々の清潔を保っていた。それを知らずに、ただ捨てていた自分。もったいない。

よく無添加洗剤を使うナチュラリストを「非化学的だ」と嘲笑するひとがいるが、米のとぎ汁を使うことほど、化学的なものはない。

合成洗剤は本当にやめたほうがいいよ。

洗濯、洗面、歯磨き、そして入浴まで――万能の自然派素材たち

合成洗剤に頼らない暮らしは、決して一部のための選択ではない。実際に使ってみればわかるが、自然素材だけで十分以上の洗浄力と快適さが得られる。

上述のクエン酸、重曹、セスキ、無添加石鹸、アルカリ電解水の5つは、実際に僕が普段使用しており、多くの自然派の方がおすすめする、もっとも基本かつ安心して使える代表格。

これらは単体でも十分な洗浄力を持ち、用途によって組み合わせることで、汚れにより効果的。

パウダータイプのセスキをキッチンで普段使いするとき、適切な容器に入れたいもの。

簡単に取り出せる専用ディスペンサーとは、粉末状のセスキ炭酸ソーダを手軽に、かつこぼさずに取り出せるように設計された容器や道具のことです。

以下にいくつかのタイプを紹介します。

  1. プッシュ式ディスペンサー:

    • プッシュボタンを押すと、一定量のパウダーが出るようになっています。
    • 使いたい量を簡単に調節できるので便利です。
  2. スプーン付きボトル:

    • ボトルの中に専用のスプーンが付いており、必要な量をスプーンで取り出せます。
    • スプーンがキャップに固定されているタイプもあります。
  3. キャップ付きシェイカー:

    • スパイスやベーキング用のパウダーシェイカーのように、キャップを回して開けるとパウダーが振り出せる仕組みです。
    • 必要な場所に直接振りかけることができます。
  4. プラスチック製のパウダーポット:

    • 透明なプラスチック容器に入れ、蓋を開けるときに取り出しやすい構造になっています。
    • 密閉性が高いので、湿気を防ぎつつ使えます。
  5. ダストポンプ:

    • ポンプを押すことで粉末が出るタイプのディスペンサーです。
    • 手を濡らさずに使えるので、キッチン周りでの使用に適しています。

これらのディスペンサーを使うことで、手や指が水で濡れていても、セスキを便利に取り出せる。

もちろん、ダイソーなどの100円ショップで手に入るもの。

エコフレンドリーなライフスタイルを実践のため、クエン酸や重曹に興味を持たれた方、どこで購入するか知りたいですよね。多くのエコフレンドリーな方は以下のような場所を選んでいるかもしれません。

  1. 楽天24のスーパーDEAL: 正直言って、一番安く買えます。特に食品添加物グレードで、大容量でコストパフォーマンスの良いものを探す際には月に何回かあるスーパーセールで買うのがおすすめです。

  2. 100円ショップ: 実は最も身近で買えるところです。ただしどちらにも食品添加物グレードの重曹やクエン酸は売っていませんので、重曹を口に入れる場合は安全のために食用グレードを選んでください。
  3. ドラッグストア: 合成洗剤コーナーにクエン酸と重曹などが置いてありますが、あまり行かないほうがいいですよ。近所のドラッグストアでは日用品と一緒にちょっとした食品も購入できますが、店内は化学物質まみれ。昔はよく利用しましたが、合成洗剤をやめるともう行く理由がなくなりました。今考えるとここで食べ物を買っていたのが恐ろしいです。かぜ薬?食事で治す派なので買いません…。

    1. スーパーマーケット: 一般的なスーパーならどこでも。業務スーパーでもオーケー。特に、食品グレードの重曹やクエン酸は調理にも使われるため、食品コーナーをチェック。ただし、量は少なく割高になりますので、楽天24がお勧めです。

キッチンではセスキ、重曹がおすすめ

たとえばキッチン掃除。油汚れやヌメリには重曹とセスキの出番。

シンクに重曹をふりかけ、水で濡らした手で軽くこすってみる。スポンジは不要。指先と手のひらだけで十分。むしろ、汚れ落ちの良さを指先で楽しんでみて。
油汚れはたちまち浮かび、匂いも一緒に消えていく。ネギを切った包丁を軽く水で流してからパウダーボトルの重曹をかけて、指で往復して擦ってから流水洗いしてみて。あっという間に汚れは落ちるから。

また、使用後のどんぶりにセスキを一つまみ入れ、水を加えて少し置くだけで、ヌメリは驚くほど簡単に落ちる。実際にはつけおく必要もないことが多い。
セスキの持つアルカリ性の力で、食器の汚れは自然と剥がれていくのだ。

ここで重要なのは、私たちが長年当たり前のように使ってきた市販の台所用洗剤のほとんどが中性洗剤だということ。

これは界面活性剤の働きに頼っているだけで、汚れの性質に対してアプローチが間違っているのだ。

実際、東京都クリーニング生活衛生同業組合もこう述べている。

「一般的な台所用洗剤は中性洗剤で、基本的には界面活性剤の働きだけで汚れを落とします。しかし汚れを落とすことを優先するのであれば、本来中性ではなくもっとアルカリや酸の成分を高めることで解決できるはずです」― 出典:東京都クリーニング生活衛生同業組合

すなわち、汚れには性質があり、油汚れやタンパク質汚れに対しては中性ではなく、アルカリ性の洗浄剤を使うのが理にかなっているということだ。

「泡で洗う」は思い込みにすぎない

多くの人は、洗剤の「泡」で洗っていると思っている。実際には、泡は視覚的効果に過ぎず、本当に働いているのは洗剤に含まれる成分そのものである。

そして、セスキは泡など出さずとも、アルカリ性の力だけで脂肪酸やタンパク質の汚れを分解できる。そこに添加物も香料も必要ない。
環境にも身体にも優しい。それが「本物の洗剤」である。

洗濯には無添加石鹸、仕上げにクエン酸

衣類の洗濯には無添加の液体石鹸や粉石鹸を使用するのが理想。
これだけで衣類はふんわりと柔らかく仕上がる。柔軟剤などいらない。
さらにクエン酸を仕上げのすすぎ時に少量加えると、石鹸成分の残留も防ぎ、肌にも優しく仕上がる。最初から一緒に入れてしまうと互いに中和されてしまうのでNG。

柔軟剤の香料でごまかされた洗い上がりとはまったく違う、本来の「清潔な仕上がり」である。

洗面所の掃除は重曹+クエン酸で

洗面台のくすみや水垢には、重曹とクエン酸の組み合わせが効果的だ。
まず、洗面台の表面に重曹とクエン酸をふりかける。水で濡らした指先と手のひらで軽くさすってみると、
シュワシュワとした発泡とともに、わずかに爽やかな「ラムネのような香り」が立ちのぼる。
汚れはみるみる落ち、表面はつややかに光りはじめる。

スポンジも洗剤も不要。人間の手と自然の反応だけで、ここまできれいになるのだ。

重曹は体にも使える――入浴と歯磨きにも

重曹の用途は家の掃除だけにとどまらない。食用グレードの重曹は入浴や歯磨きにも使える。
体を洗うときは、温水で濡らした肌に重曹を一つまみ乗せ、手のひらでそっとなじませる。
すると垢が浮き、肌の表面がつるつると滑らかになるのを感じられるはずだ。

「口に入れるなんて」と不安に思う人もいるかもしれないが、重曹はれっきとした食品添加物であり、野菜のアク抜きやふくらし粉として広く利用されている。

つまり私たちは、知らないうちに日常的に摂取している食のパートナーである。知ってしまうと「なんだそうなのか」と拍子抜け。それが安全な自然の洗浄剤の正体である。

除菌にはアルカリ電解水で十分である

「アルコールスプレーがないと除菌できない」と思い込まされている人は多い。
しかし、アルカリ電解水があれば充分である。
テーブル、ドアノブ、トイレのレバーなど、除菌したい場所にシュッと一吹きし、拭き取るだけでよい。
ニオイもなく、水と電気だけで生成される安全な水溶液のため、赤ちゃんやペットのいる家庭でも安心である。

ここにはNG

・電化製品の液晶画面

・木材

・銅や真鍮

最初の一歩は、100円ショップから

クエン酸も重曹もセスキも、無添加石鹸も、アルカリ電解水も――今では100円ショップでも手に入る
試しに一つ買ってみて、実際に手で掃除してみれば、これまでの「常識」がひっくり返る体験が得られるはずだ。

化学製品を手放すことは、決して後ろ向きな選択ではない。むしろ、無駄を省き、本当に必要なものだけを選ぶという、前向きな暮らし方。

また、無添加であることは他者との取引にもプラスに働く。たとえばフリマアプリなどに衣類を出品した際、「柔軟剤の香りがしない」「状態がきれい」といった評価が得られやすい。香りに敏感な人にとって、無香料であることは安心材料なのだ。

「高機能」に頼っていた僕が、それをやめた理由

「エコフレンドリーな暮らし」というと、どこかストイックな印象を持たれるかもしれない。だが、実際にはとても穏やかで、無理のない生活様式である。誰にでも始められ、誰の暮らしにもなじむ。

振り返ってみれば、無添加洗剤への移行は、生活全体を静かにアップデートする選択だったと言える。自分自身の体調が整い、周囲への配慮も自然にできるようになり、家の空気は清潔でやわらかい。猫の健康、服の寿命、家計の節約——すべてが少しずつ、しかし確かに変わった。

今では、あの強い香りを思い出すことすらない。

コロナ禍で強烈に刷り込まれた「除菌・抗菌・消毒」信仰

2018年ごろから2023年まで、紫色のパッケージでおなじみの「高機能」液体歯磨き、リステリン・トータルケアを使っていた。口の中を一掃するような強烈な刺激でおなじみの「全部入り」という紫色のリステリン。殺菌も、虫歯予防も、口臭ケアも、それ一本で済むという触れ込みだった。

だが、2023年から現在に至るまで、僕はそれをすっかりやめてしまった。今後の人生で、一切絶対に使うことはないだろう。

その理由は?

リステリンだけでなく、上述した市販の合成成分が入った歯磨き粉や、ボディソープ、ハンドソープ、衣類用洗剤、食器用洗剤まで、残っていた分は使い切ることなく処分した。合成洗剤というカテゴリーごと、生活から追放したのだ。

なぜか。それは、コロナ禍で強烈に刷り込まれた「除菌・抗菌・消毒」信仰に、ある日、ふと疑問を持ったからである。

2020年に新型コロナが始まり、社会全体が感染症の恐怖に支配された。「接触感染」が声高に叫ばれ、アルコールスプレーとマスクが品薄になった。僕も例外ではなかった。高濃度のアルコール製剤を求めてドラッグストアを巡り、通販サイトで割高な製品に手を出したこともある。

もともと僕は、コロナ以前から事務机の表面をキッチン用アルコールスプレーで清掃するのが習慣だった。汚れと言っても、コーヒーの汚れを拭うくらいだ。アルコール除菌には馴染みがあったし、生活の一部だった。だからこそ、コロナ初期のパニックには自然と巻き込まれてしまったのだ。

今思えば、当時の僕は完全に「煽られていた」。もちろん、感染症自体が嘘だったとは思っていないし、「騙された」と断言するつもりもない。ただ事実として、これまで5年のあいだ、僕は一度もコロナウイルスに感染しなかった。いや、この5年、病院に行ったことも検査をしたこともないのだからわからないが、少なくとも、あれだけ煽られた重篤な症状は何も出なかった。

その理由について、直接の言及は控えるが、「あることを思いとどまったこと」が鍵だったと僕は考えている。

さらに、過剰な除菌をやめたこと。ウイルスと共に生きる、という視点を持ち直したこと。それが結果的に、自分の体を守る免疫力アップにつながったのではないかという直感がある。

そしてこの間に、ドラッグストアの棚には「抗菌」「除菌」「ウイルス除去」といった強い言葉を冠した製品が次々と登場した。

なかには、どこまで効果があるのか疑わしい成分もあった。

過剰な除菌は、むしろ肌や粘膜を傷め、常在菌のバランスを崩す可能性すらある。そうした視点は、当時のCMや広告からは見えてこなかった。

ある日、ふと思った。「これは本当に“生活のため”の製品なのだろうか? “恐怖”を利用した商売になってはいないか?」
疑いは確信へと変わった。そして僕は、ひとつずつ、合成製品を暮らしから外していった。

合成成分入りの製品を今後の人生で一切使うことはないだろう。

静かに蝕まれる日常——体が発していたSOS

もう限界だった。体が、肌が、鼻が、悲鳴を上げていた。

ある日、突然ではなかった。けれど確実に、何かがおかしいと気づいていた。
合成洗剤、柔軟剤、ボディソープ、液体歯磨き……日常に当たり前にあった「清潔」のための製品が、むしろ自分の不調の根源なのではないかと疑い始めた。

界面活性剤、カチオン界面活性剤、マイクロカプセル、そして人工香料。
これらの言葉を一つも聞いたことがない、という人はもう少ないだろう。テレビCMでも、商品パッケージでも、耳にする機会は増えている。

今、これらの成分による健康被害が、少しずつ、しかし確実に広がっている。

「昔は合成洗剤を使っても平気だった」という人も例外ではない。むしろ、そういう人ほど、今の製品との違いに気づきにくいかもしれない。

なぜなら、メーカーは年々、洗浄成分や香料を“強く”しているからだ。

背景にあるのは「菌」「ウイルス」への過剰な恐怖である。
「衣類に菌が残っている」「ウイルスがついている」「臭いの原因はウイルス」——こうした不安を煽る広告が繰り返されることで、私たちは知らぬ間に“強い洗浄力を選ばされてきた”。

けれど本来、人の皮膚には「常在菌」がいて、外敵から体を守る役目を果たしている。
ウイルスとだって、私たちは共存していた。
それをすべて「殺そう」「除菌しよう」とする今の風潮は、むしろ異常なのだ。

しかも問題は一家庭の掃除洗濯、一個人の健康だけにとどまらない。
強い合成洗剤で洗われた衣類や食器から出る排水は、下水処理場へと流される。だが、すべての有害成分がきちんと分解・無害化されるとは限らない。
地域によっては、そのまま川へ流されるケースもある。

川の水はやがて海へと流れ、空へと昇って雨となり、また大地に降り注ぐ。
その雨に、海の魚や貝など海産物に、わずかに香料のにおいを含んでいると感じたとき、僕は言葉を失った。
香害は、空気や水を通じて静かに生活を侵食している。

鼻が麻痺し、内臓が悲鳴を上げ、子どもたちの発育に影響を与える。我々は、知らぬ間にこうした連鎖の一部に組み込まれている。
気づいたときには、すでに手遅れになっているかもしれない。

だが、気づいた瞬間が、変化の始まりでもある。

もう自分の免疫力を弱めるのはやめよう。

まとめ…合成洗剤を手放してわかったことは「知らないこと」がもっとも高くつくこと

合成洗剤をやめてみて、初めて気づいたことが山ほどある。

あれほど「良いもの」と信じて使っていた日用品の多くは、実は巧妙な宣伝戦略によって作られた幻だったこと、他に良いものは安く売ってること、代用できること……。

紛い物であり、ウソであり、大袈裟な誇張であり、場合によってはただの茶番。
大手メーカーに“上手に”騙されていた、依存させられてきたという事実が、今ならはっきりと見える。

それを自分の中で認めることが、脱却への第一歩だった。

過去の自分はこう書いていた。

「糖尿病でもアル中でもなく、タバコも吸わず、朝晩シャワーや風呂に入り、頭皮の脂を落とし、洗濯にはアタックネオとワイドハイターを使って漂白・除菌している。自分の体臭が臭いはずがない」

今振り返ると、なんともお寒い話だ。全くの勘違いだったのだから。

歯磨きもそうだ。オーラルケアだの、センシティブだの、塩入りだ、生薬入りだと、いろいろ試した挙句、結局どれも「効いている気がする」だけの、自己満足だった。

それでも当時の自分には、正しいことをしているという確信があった。それこそがメーカーの戦略であり、無知な消費者はその戦略の格好のターゲットとなる。

たとえば、酸素系漂白剤で除菌漂白しても、合成洗剤を使っていれば、そこから出る生乾き臭や悪臭の原因になる。
要するに、悪臭の元を売っておいて、それを取るための商品をまた売るというマッチポンプが成立してしまっているのだ。

香り付き柔軟剤もそうだ。強い香りで「清潔感」や「癒し」を演出し、いつの間にかそれがないと落ち着かないような感覚にさせられる。
便所芳香剤のフローラル殺虫剤臭にすがるのはもう、依存症と呼んで差し支えない。

酒やタバコ、麻薬には依存性があると国が認識し規制しているのに、合成香料に関しては野放しだ。なぜか。

その背後にあるのが、「香り依存」をビジネスとして活用する企業の論理だ。
とりわけ、強い香りに惹かれやすい層として、女性——特に若い女性——がターゲットにされている。

思い出してほしい。
2022年、ある企業の執行役員が、マーケティング戦略に関してこう口にした。

「生娘をしゃぶ漬けにする戦略」

この発言の主は、元P&Gでアリエールのブランド戦略を担当していた伊東正明氏。当時、吉野家の常務取締役であった。発言は大問題となり、伊東氏は解任されたが、この一言に凝縮された思想こそが、現在の依存症ビジネスの本質を物語っている。

すなわち、「洗剤は中毒性がある」ことを前提に、香りに依存させる戦略が、既に企業側に共有されているという事実だ。

この構造に気づかないまま使い続ければ、私たちは香りに、清潔感に、広告に“洗脳”され、そして最終的に、自分の体と心を損なっていく。

だが逆に言えば、気づけば脱却できる

そしてそれは、「買わない」「戻らない」と決めたその瞬間から始められる。

たとえば、焼酎の大容量パックを買っている中年男性を見て「アルコール依存症」と、笑う人がいる。
だが同じように、香料たっぷりの柔軟剤を大容量パックで買っている若い女性はどうだろう。本人は「いい香りで癒やされてる」と思っているが、それは人工的に設計された残留香料であり、本来の「清潔」や「肌へのやさしさ」とはまったく関係がない。依存させられてるだけだ。

これは冗談でも陰謀論でもない。
企業のマーケティングによって、本来不要なものを「必要だ」と思わされているだけの話である。
私たちはただ、「健康に、安全に生きたい」だけなのである。